【ベトナム歴史探訪】ベトナム中部とチャンパ王国──砂と海が語る神話

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ベトナム中部の歴史とチャンパ王国──砂と海が語る神話

以下のページでは、ベトナム全体の歴史を概観しましたが、本稿では特にベトナム中部の歴史に焦点を当ててご紹介いたします。
https://vietnam-shinshutsu.com/vietnam-history/

他にも、ベトナム北部や南部の歴史についてもご紹介しております。
あわせてご覧いただけますと幸いです。

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● はじめに:ベトナム中部の歴史と海の交差点

ベトナムの中部沿岸に広がる遺跡群や塔の残影は、過去に存在した一つの王国の記憶を静かに物語っています。

ベトナム中部、今のクアンナム省からビンディン省にかけて広がる海岸線には、かつて東南アジアの海上貿易ネットワークの中心であった王国が存在しました。そこを治めたのが、オーストロネシア語族に属するチャム族の人々による「チャンパ王国」──2世紀から19世紀にわたり、多様な外来文化を受容しつつ、独自の芸術と宗教を築いた海の王国です。
その海の王国は、約1,500年にわたり、ベトナム中部の歴史の中で独自の芸術や宗教文化を育みました。

● 建国と海洋国家としての存在

192年頃、在地首長・区連(ク・リエン)が漢帝国から自立し、林邑(リンユウ)を建国したことがチャンパ王国の始まりと伝えられます。地形的には山と海に挟まれた土地ながら、豊かな森林資源(沈香、黒檀、象牙)に恵まれ、それらを交易財として南シナ海の航路を通じ異文化とつながりました

この時期、インド文化の強い影響下でヒンドゥー教や仏教が浸透し、ミーソン聖域に築かれた煉瓦造りの寺院群は、その宗教性と建築技術を象徴するものに成長し、ベトナム中部の歴史に大きく影響を与えました。

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● 領域拡大と最盛期(10~13世紀)

 10世紀になるとチャンパはヴィジャヤ(現在のクイニョン)を中心に勢力圏を広げ、海洋都市国家として繁栄を極めました。交易品には陶磁器や織物も加わり、同時代の航海技術革新により、船舶で直接遠方市場へアクセスできるようになりました。さらに、9世紀以降インドラヴァルマン2世などの王のもとで、中国やジャワとの交流が深まり、独自の王権と連合的な政治構造が整いました

ミーソンのほか、クアンナム遺跡群(タムキー周辺)やビンディン遺跡群(銀塔、金塔など)が建設され、丘の上に林立する高いレンガ塔は、宗教儀礼と政治力の象徴でした

● 転機:北の大越・南のアンコールとの対峙(11~14世紀)

11世紀以降、大越(北ベトナム)王朝との緊張が高まり、領土縮小や抗争が続きました。一方、南ではアンコール朝との激しい対立もあり、1177年にチャンパ軍が一時アンコール王都を占領するなど、海洋国家の軍事的実力を示しました

13世紀には元(モンゴル帝国)の南方侵攻にさらされましたが、激しい抵抗や自然災害による撤退などにより独立を維持しました。この時期は、単なる中央集権的国家というより、地域勢力が緩やかに連合する形態が強く、14世紀後半には新たな興隆の兆しも見えていたとも言われます

● 南進政策と王国の最期(15~19世紀)

1471年、黎朝(大越)の南進政策によりチャンパの首都ヴィジャヤが陥落。この攻勢により王国の核心地域は壊滅状態に陥り、多くの住民が蹂躙され移住を余儀なくされました 。その後もグエン氏による南部統治が進み、18世紀末にはチャンパ王国は政治的実質を失い、1832年には特別自治制度が廃止され、ベトナム国家に完全併合されました

● チャム文化の遺産と現代的継承

国家としては消滅したとはいえ、チャム民族は中南部沿岸や高原地帯に居住を続け、言語、宗教、祭礼(ポー・ナガール祭など)を守り続けています。特にポー・ナガール塔群(ニャチャン)、ポー・ハイ塔群(ファンラン/ファンティエット)などのチャム塔は、当時の礼拝文化と彫刻美術を今に伝える遺構です

ミーソン聖域は歴史、建築、信仰の結晶として1999年にユネスコ世界文化遺産に登録され、その造形美はアンコールやボロブドゥールと並ぶ東南アジアの重要遺跡とされています

ダナンのチャム彫刻博物館には、チャンパの石像や石板碑、神話彫刻などが所蔵されており、宗教や王政、交易を読み解く資料が豊富に展示されています。

● 結び──歴史の波間に浮かぶ異文化と共生

チャンパ王国は、中国・インド・クメール・日本・琉球など、多くの外来文化と交わりながら、自らの文化的主体性を磨き上げた海洋文明でした。香木や織物などを通じた地域間交流は、古代のグローバル化の先駆けとも言えるでしょう。また、稲作中心の国家史から外れた、港市国家としての歴史は、現在の多民族・多文化国家としてのベトナムの多様性に光を当てます。

チャム塔の煉瓦壁に刻まれた文字や像に風が吹き抜けるたび、そこには「存在し続ける民族の証」があります。失われた王国としてではなく、多文化共生と歴史記憶のモデルとして、チャンパの遺産は私たちに語りかけています。変転する時代の中で、人はそれをどう受け継ぎ、どう語り継いでいくのか──それが、今を生きる私たちへの問いといえるのではないでしょうか。